新聞の夕刊に、ちょっとイイ話が載っていたので、記録がてら、ご紹介。
京都の、代々、220年つづいている鯖寿司のお店の、そこの七代目の佐々木さんという方なんですが。現在55歳。
五年前(佐々木さんが50歳の時ですね)、デパートの催事の仕事で北海道に行き、そこで、統廃合されることが決まっている小さな学校(小学校と中学校が一緒になっているんだそうです)の先生を紹介され、「子供たちに思い出を」ということで、佐々木さんがその学校へ実演に行ったんだそうです。
で、そこの生徒さんは、今まで誰も鯖寿司を食べたことがない、と。
ちなみに、鯖寿司というのは、しめた鯖を使った寿司(多分押し寿司の一種なんだと思います)なんですが、どうして〆た鯖を使ったかというと、京都が内陸だったからなんですね。200年以上昔には、当然冷蔵庫とか冷蔵車なんてありませんから、保存がきくように、揚げた鯖をしめてからでないと、京都に持ってくる間に腐っちゃうから、という理由から生まれた料理なんです。鯖寿司というのは。
逆に、北海道っていうのは、もちろん、なんつっても“新鮮な魚介類”ですから。基本、ピッチピチの魚ですから。毎日。
佐々木さんからしたら、「口に合うだろうか」と。喰ってくれるのか、と。
ところが、子供の反応が良かったんですね。笑顔で「おかわり」と口々に言ってくれたんだそうです。
その反応に、佐々木さんは、「老舗ののれんに守られた店の味でなく、自分の寿司が認められた」と思ったんだそうです。
佐々木さんは、45歳の時に、先代であるお父さんを亡くして主人になり(当然、それまでずっと修行してきてます)、味が落ちたと言われないようにと、必死だったんだそうです。
で、その、北海道の子供たちの反応で、自分の味に自信が持てたんだそうです。
その学校の最後の卒業式で、佐々木さんは、「仰げば尊し」を一緒に歌ったんだそうです。
というお話です。
どうでしょう?
なかなか素敵なストーリーじゃないっスか?
2007年11月27日火曜日
「SIN CITY」を観る
ロバート・ロドリゲス監督の「シン・シティ」を観る。
アメコミが原作ということで、まぁ、その原作者も監督としてクレジットされているワケで、“原作に忠実に”ということなんでしょうか。
その原作に馴染みがない者としては、その辺のアレはちょっと分かりませんが。
しかし、まぁ、いわゆる“一般ウケ”はまったくしない作品でしょうな。
良かったですけどね。
“盟友”タランティーノの「パルプ・フィクション」とシナリオの構造が似てたりして。
あの、エピソードの並べ方というか、時間軸を入れ替える、というのは、なにかお手本みたいのがあるのかねぇ? 流行りってワケでもないと思うんだけど。
内容ですが・・・。
架空の都市の、社会の最底辺にいるクズたちの物語、ですよね。
犯罪者、悪漢、飲んだくれ、卑劣漢、裏切り者。女性は、娼婦と少女しか出てこないし(あ、一番最初に殺される女性は違うか)。
そういう意味では、フィルム・ノワールではなく、ピカレスク・ロマン、というヤツでしょうか?
権力と権威に守られている“本当の悪”を、暴力という手段によって、ピカレスクが討つ、という。
ま、そういう、ある種の伝統的な物語を、最新の技術、超豪華なキャスト、ロドリゲスならではのスピード感と美学で描く、と。そういう意味では、全然成功している作品だとは思いますけど。
ちょっと話が逸れますが、この、“娼婦と少女”というのは、興味深いですよね。
例えば、日本のオタクのメンタリティとは、ここはまったく異なるので。
個人的には、これは、ロドリゲス流のフェミニズムだと思うんですよね。個人的に、こういう形のフェミニズムって、全然アリだと思ってるんで。
“娼婦”という職業に敬意を払えば、こうなる、というか。ある意味での“自立”ですから。
女性に対して、ダッチワイフ的にしか価値を見出せないオタクなんかよりは、全然健全だし、なんていうか、倫理的に正しい、というか。
さて、とにかくこっちが話題になった、その、全面CGで作られた画面ですよね。
フランス産の「ルネッサンス」よりは全然良かったですよねぇ。画面の密度もそうだし、なんていうか、リアリズムを求めていない、という意味でも。コミックの世界を忠実に再現する、という意図が、いい方向に働いてる、というか。
バットマンのゴッサム・シティとよく似てました。アレもアメコミだしね。
ロドリゲスは、それこそ、スパイキッズで、CGを勉強したのかもしれませんね。
キャラクターの肉体の動きを、CGやらVFXやらで“殺さない”という部分は、ホントに上手だなぁ、と。
ロドリゲスって、元々はホントに“肉体派”ですからねぇ。
キャラ的には、ジョシュ・ハートネットのキャラが一番良かったです。カッコよかった。
ま、感想はそんな感じかな。
個人的には、こんな感じの手法で、「ジョジョの奇妙な冒険」を映画化して欲しいです。いま、なんか、あちこちで盛り上がってるし。
DMMでレンタルも出来ます。>>>こちらから。
アメコミが原作ということで、まぁ、その原作者も監督としてクレジットされているワケで、“原作に忠実に”ということなんでしょうか。
その原作に馴染みがない者としては、その辺のアレはちょっと分かりませんが。
しかし、まぁ、いわゆる“一般ウケ”はまったくしない作品でしょうな。
良かったですけどね。
“盟友”タランティーノの「パルプ・フィクション」とシナリオの構造が似てたりして。
あの、エピソードの並べ方というか、時間軸を入れ替える、というのは、なにかお手本みたいのがあるのかねぇ? 流行りってワケでもないと思うんだけど。
内容ですが・・・。
架空の都市の、社会の最底辺にいるクズたちの物語、ですよね。
犯罪者、悪漢、飲んだくれ、卑劣漢、裏切り者。女性は、娼婦と少女しか出てこないし(あ、一番最初に殺される女性は違うか)。
そういう意味では、フィルム・ノワールではなく、ピカレスク・ロマン、というヤツでしょうか?
権力と権威に守られている“本当の悪”を、暴力という手段によって、ピカレスクが討つ、という。
ま、そういう、ある種の伝統的な物語を、最新の技術、超豪華なキャスト、ロドリゲスならではのスピード感と美学で描く、と。そういう意味では、全然成功している作品だとは思いますけど。
ちょっと話が逸れますが、この、“娼婦と少女”というのは、興味深いですよね。
例えば、日本のオタクのメンタリティとは、ここはまったく異なるので。
個人的には、これは、ロドリゲス流のフェミニズムだと思うんですよね。個人的に、こういう形のフェミニズムって、全然アリだと思ってるんで。
“娼婦”という職業に敬意を払えば、こうなる、というか。ある意味での“自立”ですから。
女性に対して、ダッチワイフ的にしか価値を見出せないオタクなんかよりは、全然健全だし、なんていうか、倫理的に正しい、というか。
さて、とにかくこっちが話題になった、その、全面CGで作られた画面ですよね。
フランス産の「ルネッサンス」よりは全然良かったですよねぇ。画面の密度もそうだし、なんていうか、リアリズムを求めていない、という意味でも。コミックの世界を忠実に再現する、という意図が、いい方向に働いてる、というか。
バットマンのゴッサム・シティとよく似てました。アレもアメコミだしね。
ロドリゲスは、それこそ、スパイキッズで、CGを勉強したのかもしれませんね。
キャラクターの肉体の動きを、CGやらVFXやらで“殺さない”という部分は、ホントに上手だなぁ、と。
ロドリゲスって、元々はホントに“肉体派”ですからねぇ。
キャラ的には、ジョシュ・ハートネットのキャラが一番良かったです。カッコよかった。
ま、感想はそんな感じかな。
個人的には、こんな感じの手法で、「ジョジョの奇妙な冒険」を映画化して欲しいです。いま、なんか、あちこちで盛り上がってるし。
DMMでレンタルも出来ます。>>>こちらから。
2007年11月19日月曜日
「16ブロック」を観る
ブルース・ウィリス刑事がまたまたNYで頑張る、「16Blocks」を観る。
作品のトータルは評価としては、“中くらい”って感じですかねぇ。中の上、とか。
正直、モス・デフの演じるキャラクターの造形がイマイチ。なんか、もうちょっと色があってもいいんじゃないか、と。
ま、その、キャラクターへの違和感とは別に、“コンシャス・ラッパー”の最高峰の一人でもある彼が、無教養で低脳な犯罪者を演じるってことに、ちょっと皮肉を感じちゃったり。ま、それは、逆説的に彼の存在感と、演技の巧さを示してるんですけどね。
モースの悪徳刑事もねぇ。なんちゅーか、そんなに“悪徳”に見えないっていうのあるし。
ま、その、2人とも、俺がもってる先入観が強過ぎるっていうか、ね。
モースは、「クロッシング・ガード」もそうだし、他の作品にも出まくってるからね。
正直、その辺のキャスティングは、俺にはちょっとアレな感じなんですよね。
ただ、まぁ、それはB・ウィリスにも言えることだしなぁ。三者三様で、それぞれにとって同様に、挑戦的なキャスティングだったのかもしれませんね。
冒頭の、主人公の“アル中”の表現も、ちょっとしつこいかな、と。アル中でダメダメの男なんだ、というんを説明する部分。
ただ、一人目の射殺シーンへの伏線だとしたら、あのダラダラした描写も正解ですね。あの、「ホントはデキる」感は、凄い良かったです。普通にビックリしたし、裏切られたし。
物理的なアクションシーンと、心理的な駆け引き、というか、精神的なぶつかり合いが、交互に描かれる、というシナリオも、結構好きかも。そういう意味では、刑事2人の配役はあってる気もしないでもないですけど。
ICレコーダーのオチもとてもイイ。うん。そういう、シナリオの部分はもの凄く良いんですよねぇ。物語の構成というか。
ちょっと気になったのは、その、“16ブロック”の具体的な距離感ですよね。“たいした距離じゃない”というのを、例えば街を空撮するとかして、“実際の距離感”を体感させる、みたいな演出があってのいいんじゃないかな、と。普通に、目指す裁判所のイメージが与えられないので、若干迫力不足になってるし。
ニューヨークという“街”が舞台なのに、その“街”が、イマイチ描写し切れてない、という。
NYの地理をなんとなく分かる人だと、要するに、チャイナタウンを縦断していく、ということなんですが。あのゴチャゴチャした区画っていうのは、チャイナタウン特有のカオスなので。どこもかしこもあんな街路ばっかりじゃないですからねぇ。
しかし、NYのダウンタウンを舞台にしつつ、「9・11」についての描写はしない、という部分は良かった。ようやく“平時”に戻ってきたのかな。NYの映画も。一時期、ホントにそういう作品ばっかりでしたもんね。
いや、ま、それが悪いことだとはまったく思いませんけどね。むしろ大事なことですが。
それから、チャック・ベリーとバリー・ホワイトについてのセリフは良かった。エンドクレジットでバリー・ホワイトが流れたりしてね。そこはちょっと、ニヤリ、みたいな。
ま、そんなこんなで、“佳作”でしょうな。
作品のトータルは評価としては、“中くらい”って感じですかねぇ。中の上、とか。
正直、モス・デフの演じるキャラクターの造形がイマイチ。なんか、もうちょっと色があってもいいんじゃないか、と。
ま、その、キャラクターへの違和感とは別に、“コンシャス・ラッパー”の最高峰の一人でもある彼が、無教養で低脳な犯罪者を演じるってことに、ちょっと皮肉を感じちゃったり。ま、それは、逆説的に彼の存在感と、演技の巧さを示してるんですけどね。
モースの悪徳刑事もねぇ。なんちゅーか、そんなに“悪徳”に見えないっていうのあるし。
ま、その、2人とも、俺がもってる先入観が強過ぎるっていうか、ね。
モースは、「クロッシング・ガード」もそうだし、他の作品にも出まくってるからね。
正直、その辺のキャスティングは、俺にはちょっとアレな感じなんですよね。
ただ、まぁ、それはB・ウィリスにも言えることだしなぁ。三者三様で、それぞれにとって同様に、挑戦的なキャスティングだったのかもしれませんね。
冒頭の、主人公の“アル中”の表現も、ちょっとしつこいかな、と。アル中でダメダメの男なんだ、というんを説明する部分。
ただ、一人目の射殺シーンへの伏線だとしたら、あのダラダラした描写も正解ですね。あの、「ホントはデキる」感は、凄い良かったです。普通にビックリしたし、裏切られたし。
物理的なアクションシーンと、心理的な駆け引き、というか、精神的なぶつかり合いが、交互に描かれる、というシナリオも、結構好きかも。そういう意味では、刑事2人の配役はあってる気もしないでもないですけど。
ICレコーダーのオチもとてもイイ。うん。そういう、シナリオの部分はもの凄く良いんですよねぇ。物語の構成というか。
ちょっと気になったのは、その、“16ブロック”の具体的な距離感ですよね。“たいした距離じゃない”というのを、例えば街を空撮するとかして、“実際の距離感”を体感させる、みたいな演出があってのいいんじゃないかな、と。普通に、目指す裁判所のイメージが与えられないので、若干迫力不足になってるし。
ニューヨークという“街”が舞台なのに、その“街”が、イマイチ描写し切れてない、という。
NYの地理をなんとなく分かる人だと、要するに、チャイナタウンを縦断していく、ということなんですが。あのゴチャゴチャした区画っていうのは、チャイナタウン特有のカオスなので。どこもかしこもあんな街路ばっかりじゃないですからねぇ。
しかし、NYのダウンタウンを舞台にしつつ、「9・11」についての描写はしない、という部分は良かった。ようやく“平時”に戻ってきたのかな。NYの映画も。一時期、ホントにそういう作品ばっかりでしたもんね。
いや、ま、それが悪いことだとはまったく思いませんけどね。むしろ大事なことですが。
それから、チャック・ベリーとバリー・ホワイトについてのセリフは良かった。エンドクレジットでバリー・ホワイトが流れたりしてね。そこはちょっと、ニヤリ、みたいな。
ま、そんなこんなで、“佳作”でしょうな。
2007年11月16日金曜日
「インファナル・アフェア」を観る
せっかくなので、シネ・ラ・バンバで「インファナル・アフェア」を観ちゃいました。
ま、感想としては、良く出来たシナリオだな、と。そこに尽きる感じですよね。
二人の俳優の存在感も、もちろん、良くって。
香港の芸能界って、まぁ、詳しくはもちろん、全然知らないんですが、いわゆる“スター”がまだ居るんですよね。歴然と。その“スターありき”の作品でもある、と。
例えばこれが、日本のテレビ局が製作すると、ケリー・チャンがもっとストーリーに絡んできたり、そういう、本筋とは別のところでごちゃごちゃとサブ・プロットが入ってきそうな感じなんだけど、そうじゃなくって、潔く、“男臭い”だけで押し通しちゃってるのは、すごいイイ。この、中途半端に媚びないスタイルというのも、2人の顔だけで客が呼べるということと関係があるワケで。
いや、実はこの作品、そんなに“大作”じゃなかったりするんですよねぇ。そんなにお金かけてない、というか。
そういう意味でも、ハリウッドがリメイクしたがるようなアレではある、と。ハリウッドの映画人が好きそうな題材だしね。
ま、前提として、シナリオがもの凄くいい、というのがあるワケですが。
和洋折衷じゃなくって、中洋折衷というか、そういうのの混合比というか、混ざり具合も好きです。ま、その辺が香港映画のウリの一つでもあるワケですが。この作品では特に、そういう感じを受けましたね。
変に“東洋”テイストを強調し過ぎず、逆に“欧米風”に振り切っちゃうワケでもなく。ま、香港人にとっては、それが当たり前のスタンスなんでしょうけど。
いや、「ディパーテッド」、観てないんですけどねぇ。せっかくだから観よっかなぁ、なんて。
ま、感想としては、良く出来たシナリオだな、と。そこに尽きる感じですよね。
二人の俳優の存在感も、もちろん、良くって。
香港の芸能界って、まぁ、詳しくはもちろん、全然知らないんですが、いわゆる“スター”がまだ居るんですよね。歴然と。その“スターありき”の作品でもある、と。
例えばこれが、日本のテレビ局が製作すると、ケリー・チャンがもっとストーリーに絡んできたり、そういう、本筋とは別のところでごちゃごちゃとサブ・プロットが入ってきそうな感じなんだけど、そうじゃなくって、潔く、“男臭い”だけで押し通しちゃってるのは、すごいイイ。この、中途半端に媚びないスタイルというのも、2人の顔だけで客が呼べるということと関係があるワケで。
いや、実はこの作品、そんなに“大作”じゃなかったりするんですよねぇ。そんなにお金かけてない、というか。
そういう意味でも、ハリウッドがリメイクしたがるようなアレではある、と。ハリウッドの映画人が好きそうな題材だしね。
ま、前提として、シナリオがもの凄くいい、というのがあるワケですが。
和洋折衷じゃなくって、中洋折衷というか、そういうのの混合比というか、混ざり具合も好きです。ま、その辺が香港映画のウリの一つでもあるワケですが。この作品では特に、そういう感じを受けましたね。
変に“東洋”テイストを強調し過ぎず、逆に“欧米風”に振り切っちゃうワケでもなく。ま、香港人にとっては、それが当たり前のスタンスなんでしょうけど。
いや、「ディパーテッド」、観てないんですけどねぇ。せっかくだから観よっかなぁ、なんて。
2007年11月10日土曜日
「普通の人々」を観た
昨日、昼間っから「午後のロードショー」で観た、「普通の人々」の感想でっす。
素晴らしい。
80年に製作ということですから、もう27年前ですか。「24」のジャックの親父が出てたんですが、まだ若かったですからねぇ。顔そっくり。
ちなみに、オレにとっては、キーファー・サザーランドは、「スタンド・バイ・ミー」の“エース”です。
「スタンド・バイ・ミー」大好きなんです。
いや、それはさておき。
内容は、とにかくシンプル。
“家族”について、ですね。
この作品はロバート・レッドフォードの、監督としては第一作目ということで、ま、後々にもずっと、“家族”をテーマに作品を作っていきますよね。ブラピのやつとか。
レッドフォードにとっては、大きなテーマなのでしょう。三宅さん風に言うなら、“作家のテーマ”。
派手な仕掛けもなく、ただただシンプルにキャラクターを追っていく演出は、なんていうか、ホントに今だから凄みを感じる、という。ある意味では力技なんですけどね。
きっと、シナリオがいいんだと思います。ヒューマンドラマにありがちな予定調和的な展開にもならず、かといって奇をてらった展開でもなく(もっとも、製作・公開当時にはどうだったのかは分かりませんけど)、しかしそれでも物語にしっかり引き付けて離さない、という。
主人公の繊細な感情をしっかり描き切る演出も凄いんですけど、俺はどっちかと言えば、脚本の力強さが一番印象に残る感じですかね。
「家族とはこうあるべき」という価値観が、ある悲劇によって揺さぶられ、結果、最終的にその家族の絆というのは崩壊してしまうのですが、その中にも、“尊敬”というモノで回復出来る関係性があるのだ、という。
伝統的な“良き価値観”としての「家族としてのあるべき姿」を、いわゆる“個人主義”が揺さぶっている、というのが作品の背景にある構図だと思うんですね。
で、その、“家族”という、共有していた、ある意味では“幻想”だったものが崩壊した後も、“個人個人のお互いに尊敬し合う気持ち”で、また関係性を構築出来るのだ、というメッセージだと思うんですが。
個人主義的な社会でも、人間同士の確固とした“繋がり”というのは構築出来るのだ、と。
ま、人間性の“成熟”が必要なことは間違いないんですが。その、“成熟”していく過程を描いた作品、と言えるのではないか、と。
ま、深読みですが。
ざっくり言えば、“親離れ子離れ”の物語です。ただ、そこに深い感動を与えてくれる映画である、と。そういうシナリオなんですな。
ちなみに、主人公のガールフレンド役の女の子、めちゃめちゃカワイイです。観たことある顔だけど、誰だろ。
あ、あと、精神分析医のカウンセリングのシーンはちょっと参考になったかも。
“精神科医の治療”云々というアイデアを一つ暖めているので。
ま、参考にするという意味では、近いうちにまた観直したいですな。
素晴らしい。
80年に製作ということですから、もう27年前ですか。「24」のジャックの親父が出てたんですが、まだ若かったですからねぇ。顔そっくり。
ちなみに、オレにとっては、キーファー・サザーランドは、「スタンド・バイ・ミー」の“エース”です。
「スタンド・バイ・ミー」大好きなんです。
いや、それはさておき。
内容は、とにかくシンプル。
“家族”について、ですね。
この作品はロバート・レッドフォードの、監督としては第一作目ということで、ま、後々にもずっと、“家族”をテーマに作品を作っていきますよね。ブラピのやつとか。
レッドフォードにとっては、大きなテーマなのでしょう。三宅さん風に言うなら、“作家のテーマ”。
派手な仕掛けもなく、ただただシンプルにキャラクターを追っていく演出は、なんていうか、ホントに今だから凄みを感じる、という。ある意味では力技なんですけどね。
きっと、シナリオがいいんだと思います。ヒューマンドラマにありがちな予定調和的な展開にもならず、かといって奇をてらった展開でもなく(もっとも、製作・公開当時にはどうだったのかは分かりませんけど)、しかしそれでも物語にしっかり引き付けて離さない、という。
主人公の繊細な感情をしっかり描き切る演出も凄いんですけど、俺はどっちかと言えば、脚本の力強さが一番印象に残る感じですかね。
「家族とはこうあるべき」という価値観が、ある悲劇によって揺さぶられ、結果、最終的にその家族の絆というのは崩壊してしまうのですが、その中にも、“尊敬”というモノで回復出来る関係性があるのだ、という。
伝統的な“良き価値観”としての「家族としてのあるべき姿」を、いわゆる“個人主義”が揺さぶっている、というのが作品の背景にある構図だと思うんですね。
で、その、“家族”という、共有していた、ある意味では“幻想”だったものが崩壊した後も、“個人個人のお互いに尊敬し合う気持ち”で、また関係性を構築出来るのだ、というメッセージだと思うんですが。
個人主義的な社会でも、人間同士の確固とした“繋がり”というのは構築出来るのだ、と。
ま、人間性の“成熟”が必要なことは間違いないんですが。その、“成熟”していく過程を描いた作品、と言えるのではないか、と。
ま、深読みですが。
ざっくり言えば、“親離れ子離れ”の物語です。ただ、そこに深い感動を与えてくれる映画である、と。そういうシナリオなんですな。
ちなみに、主人公のガールフレンド役の女の子、めちゃめちゃカワイイです。観たことある顔だけど、誰だろ。
あ、あと、精神分析医のカウンセリングのシーンはちょっと参考になったかも。
“精神科医の治療”云々というアイデアを一つ暖めているので。
ま、参考にするという意味では、近いうちにまた観直したいですな。
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