いやぁ、3D。凄かったですねぇ。
なんつっても、大画面ですよ。3Dですよ。
実は、前作「トロン」は、見てないんです・・・。
だけど、CMで観せられたシーンに心を鷲掴みにされちゃって、公開を楽しみにしてたんですよねぇ。
あの、リングを(フリスビーみたいに)投げるショット。
ただ、フタを開けてみると、もちろん、そのリングでの戦闘シーンは熱かったんですが、バイクに乗って戦うシーンの方がメインだったみたいで・・・。
それはそれで、良かったんですが(3Dの特性を生かしている、という意味でもね)、リングのバトルももっと観たかったなぁ、なんて。
ま、いいんですけどね。
映像は、仮想現実の世界観というのが、ちょっと殺風景過ぎるっていうか、どうも単調になってしまって、もちろん作り手側の意図としては、それが狙いなんでしょうけど、そこがちょっとアレでした。
もっと派手でも良かったんじゃないかなぁ、なんて。
ま、前作との世界観の繋がりもあるんでしょうから、しょうがないっちゃしょうがないんですけど。
3Dに関しては、もうバッチリ。
リングとかバイク(の、光跡)という“飛び道具”も、バンバン効いてて、良かったです。
で。
ストーリーについてで、ちょっと面白かったトコがあって。
作品のストーリーは、ざっくり言ってしまうと、若い主人公が、「仮想現実世界」に旅立って消えてしまった父親を追って、自分も「仮想現実世界」に入っていく、という話なワケです。
そこで、父親と対面する、という。
ここで、いわゆる“定番”のハリウッド・スタイル(というか、アメリカのスタイル)だと、「父親と息子」の対立が描かれるハズなんです。
「父越え」は、アメリカ映画の、通奏低音の1つとして、色んな作家が、それこそゴリゴリの商業ベースのハリウッド大作でも、インディペンデント作品でも、繰り返し語られているストーリーの形であって。
ところが、この作品では、主人公自身は、父親と、感情的には色々あっても、話の流れの中で“共闘”することになるんですね。
これが、ちょっと面白かったです。
実は、その「仮想現実世界」というのは、父親が“創造主”となって作り上げた世界なワケですけど、そこに、“創造主”の代理人として、自分の“分身”を作るワケですね。
「仮想現実世界」ですから、当然、“創造主”がプログラムを書くワケですけど、「仮想現実世界」では、プログラムが擬人化(一応、そういうことにしておいて下さい)されて、“人格”を持った“身体”として、現れる、と。
で、その“代理人”が、暴走している、という話なワケです。
ストーリーでは。
“代理人”である“分身”が、暴走していて、つまり、“創造主”に反逆している。だから、父親は「仮想現実世界」の中に閉じ込められてしまっているんだ、と。
そういう話なワケですね。
息子は、そんな父親を、助けに来た、と。
で、この“分身”というのは、つまり、“創造主”の“息子”でもあるワケです。
“創造主”に作られたワケですから。
主人公からみたら、そいつは、実は「自分の弟」というか、そういう存在でもあって。
ストーリーの中で、“分身”は、「仮想現実世界」を「完璧な世界にするように」という使命を、プログラミングされているんです。
「そのために働きなさい」という命令を受けて、その世界に生まれた存在。
しかし、“創造主”は、生身の人間なワケで、つまり「完璧ではない」と。
従って、「完璧な世界」を造るためには、「生身の人間」である“創造主”自身を排除しなければいけない、と。
このパラドックスを、背負っているワケです。“分身”は。
つまり、敵役である“分身”が、「父越え」のストーリーを背負っているんですね。
この構図は、ちょっと面白かったです。
父親を奪い合う兄弟の物語。
主人公は、長い間父親が不在のまま育った、ということで、なんていうか、愛情不足じゃないけど、そういう、若干の「実存不安」みたいなのに陥っていて。
「父親を奪還する」というタスクを負うことで、それを克服する、という物語があるワケですけど、まぁ、そういう、親子愛の物語。
そして、パラドックスを背負わされてしまった“分身”の、「父を殺す」物語。
ストーリーの本編自体は、最後はなんか粗さが目立つ感じではあったんですが、でも、3D大作だし、こんな感じで良いんじゃないかな、なんて。
うん。
ま、映画館の大画面で観ないと意味がない、とまでは言いませんが、ぜひ3Dで、ね。
味わって欲しいな、と。
ちなみに、音楽はダフト・パンク。(本人たちも出演してます)
音楽は、最高でした。
ホントに。
世界観にバッチリはまってて。
その、音楽の感じも含めて、楽しんだなぁ、と。
そういう作品でした。